なぜ「合理的配慮」が必要なのか

 「自由に移動することができない」という障害者の「困りごと」(自ら選択する方法で、好きな時に、負担しやすい額で移動することができないという「困りごと」)の原因はどこにあると思いますか。このように問うと「歩くことができないから、自由に移動することができないのだ」と考える人も多いでしょう。

 こうした考え方、つまりその人の側にある機能障害によって「困りごと」が生じているとする考え方を障害の「個人モデル」といいます。「個人モデル」は、とりわけ医学的・心理学的な研究において採用されてきた視点ですが、そこでの知見が圧倒的な力をもち、障害者の生に大きな影響を与えてきた歴史があるため、障害の「医療モデル」とも呼ばれます。

 これに対し、障害の「社会モデル」では、障害者が「自由に移動することができない」のは、すでに存在している社会の環境やルールが障害のない大多数の人びとの便利さや快適さに合わせてつくられているからだと考えます。この考え方によると、障害者が経験している「困りごと」は、その人の側にある機能障害によってではなく、社会の環境やルールが障害者にとって使い勝手の悪いもの/そもそも使えないものとしてつくられているために生じていることになります。こうした発想の転換により、私たちの注目を「困っている障害者」にではなく障害者を「困らせている」社会に向けさせ、社会のつくられ方を問い、変化させていくことを促すのが「社会モデル」です。

 とはいえ、いま存在している社会そのものを変更するにはまだまだ多くの議論が必要ですし、当然のことながら時間もかかります。その間「根本的に変わるまで待ってください」と言って、障害者を「困らせている」状態をそのままにしておくわけにもいきません。だから、社会のつくられ方そのものを問い直し変更する作業と並行して、特定の障害者が個別の局所的な場面で経験する「困りごと」にも注目し、その原因となっている社会的障壁をその都度除去するという作業が必要になります。合理的配慮はそうした手段です。

 しかし、たとえ個別的・局所的なものであっても、既存の環境やルールを障害者の必要に応じて変更・調整しようとすると疑問や反発が起こりえます。たとえば「みんなが守っているルールであるにもかかわらず、障害者に対してだけ守らなくてよいとするのはおかしい」という反応はその典型例でしょう。

 だからこそ、とりわけ合理的配慮については障害の「社会モデル」の視点に依拠して理解される必要があります。大多数の人たちが当たり前のように受け取ってきた便利さや快適さを支える環境やルールの中に、すでに「不当性」や「差別性」が含まれているという「社会モデル」の視点に立てば、既存のルールの遵守を要求することが常に正しいわけではないのは明らかです。むしろ、それは障害者が社会のさまざまな領域に参加する機会を奪ってきたものなのです。  

 合理的配慮とは、そうした環境やルールの側にある歪みを是正するための方法のひとつです。それは、障害者の社会参加の機会を実質的に保障するために不可欠なものであり、だからこそ時には既存の環境やルールの維持よりも優先されなければならないのです。

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