crip time を from above / from below に分節し、カナダの合理的配慮義務が時間の不平等を扱えていないことを、質的調査と Castoriadis の社会的想像的意味形成から論じる。
書誌情報
- Ravi Malhotra & Jacqueline Moizer(オタワ大学法学部)
- “Crip Time, Castoriadis, and Transcending the Duty to Accommodate in the Workplace”
- Dalhousie Law Journal 48(1), 2025, 51-82(The Christie Symposium 特集号)
- CC BY 4.0 / 全文
論文の内容
障害者が日常的に直面する特有の時間感覚である「クリップ・タイム」に着目し、従来の労働環境における合理的配慮の限界とその超越を論じた論文。
批判的障害理論を基盤とする著者らは、資本主義的かつ健常者中心の経済構造が障害者に課す時間的・精神的なコストを「上からのクリップ・タイム」と定義する(p. 60)。障害学における「クリップ・タイム」は、もともとエレン・サミュエルズやアリソン・ケイファーらの先行研究において、標準的な時計時間に障害のある身体や精神を従属させるのではなく、むしろ「身体や精神に合わせて時計を曲げる」(Kafer, 2013, p. 27)という、時間規律への挑戦や解放的な可能性を示す概念として提起された(p. 53, 56, 59)。本論文の著者らは、この政治的かつ解放的なポテンシャルを持つ概念を起点としつつ、現代の労働環境における合理的配慮の限界を検証するために、クリップ・タイムの「上から」と「下から」の二面性に着目する(p. 53, 60)。
改めて説明すると、「上からのクリップ・タイム」とは、資本主義的かつ健常者中心の社会構造が障害のある労働者に一方的に課す、時間的・エネルギー的な搾取やコストのことを指す(p. 60)。著者らはこれを三つの時間的障壁(temporal barrier)に整理して具体例を挙げている(p. 61-62)。第一は「日常的な業務や生活におけるミクロな影響」であり、これは、個々の作業に健常者より長い時間を要することや、慢性的に予算不足の福祉輸送や介助サービスの遅延・ドタキャンによって、一日の予定が狂い、働くための貴重な時間と体力が日々削り取られていく現実を指す(p. 61, 68)。第二は「生涯にわたるキャリア形成や昇進への長期的な悪影響」であり、これは、体調管理や治療のためにパートタイム勤務や休学を選択せざるを得ず、それゆえに勤続年数の蓄積が遅れ、昇進プロセスから取り残されることや、生涯賃金や将来の年金受給資格において長期的な不利益を被るという時間的な遅れのことを指す(p. 61-62)。第三は「システム内での格闘」であり、これは、雇用主から配慮を得るための官僚的な申請手続き、連携の取れていない複数の専門医をハシゴして「証明用の診断書」を用意する手続き、さらには複雑な福祉制度の調整などに、莫大な有給休暇や時間、精神的エネルギーを不毛に浪費させられることを含む(p. 62, 65)。
オンタリオ州の障害のある労働者を対象とした質的調査からは、現行のバリアフリー法に強制力がないため合理的配慮が形骸化している実態が明らかになった(p. 65)。非正規や契約雇用の労働者は報復や雇い止めを恐れて配慮を申し立てられず自己配慮(self-accommodate)に追い込まれており、送迎バスの遅延といった職場外の時間障壁は、個別雇用主に課される配慮義務の枠組みから完全に取りこぼされていた(p. 66, 68-69)。パンデミック期におけるリモートワークは、こうした通勤の苦痛や配慮請求手続きそのものを不要にする一時的なユニバーサルデザインとして機能したものの、特定の障害を持つ人々にとっては、使用するデジタルツールが原因で新たな時間的・技術的ストレスが生み出されるという課題も残した(p. 70, 73)。さらに、個別申立に依存する現行の人権救済手続きは、数年に及ぶ未処理事案の蓄積を抱えており、差別を訴える裁判プロセスそのものが、障害者の時間と活力を奪い取る「上からのクリップ・タイム」として機能している(p. 79)。
こうした構造的機能不全を乗り越え、合理的配慮の義務を「超越」するため、論文はコルネリウス・カストリアディスの「社会的想像の意義」の哲学を参照する(p. 71-72)。そして、産業革命以降に定着した「時間は金なり」という資本主義の時間規律を、押し付けられた異律的(いりつてき)な社会的想像として解体し、多様な身体と精神のリズムを肯定する「下からのクリップ・タイム」を新たな社会的想像として主体的に共創すべきだと主張する(p. 75)。
最終的に著者らは、個人が声を上げて闘わなければならない現行の個別対応の枠組みを超え、多様な時間性をあらかじめ社会の初期設定に組み込むための四つの構造的改革を提唱する(p. 79-81)。第一に、一律の時間制限による「自動解雇条項」(労働者が病気や障害などの理由で一定期間仕事を休んだ場合に、雇用主が契約を自動的に解除したり、雇用契約が自然消滅したとみなして解雇できる、雇用契約上の条項やルールのこと)を法律で禁止し、雇用継続が不可能な場合のみに適用される最終手段へと位置づけ直す(p. 80)。第二に、軽微な欠勤や日常的な配慮申請における「医師の診断書提出要件」を一律に撤廃し、厳格な監視から信頼に基づくコラボレーションへと職場の規範を転換させる(p. 80)。第三に、勤務時間外の連絡を制限する「つながらない権利」を保障し、個人の申請なしに多様なペースを確保する(p. 81)。第四に、特定の職場に縛られない「国による支援機器の直接提供」を行い、労働者が特定の企業との契約関係を超えて自由にキャリアを選択できる土台を整える(p. 81)。これらをシステム全体で実行することにより、合理的配慮を生産性維持のための受動的な例外措置から、誰もがその尊厳を認められ繁栄できる包括的な労働環境へと根底から再設計する必要がある(p. 81-82)。
批判的検討
「障害者が直面する時間的な障壁や負担」を指摘するのであれば、「時間的障壁(temporal barrier)」という言葉で十分であり、「上からのクリップ・タイム(crip time from above)」という概念を定式化する必要はないと思うが、あえてそうしたのには理由があるのだろう。一般的に「時間的障壁」と言うとき、私たちは無意識のうちに、時計が刻む時間(健常者の時間)を「中立で客観的な基準(標準)」として前提にしている。これに対し、「時間そのものが資本主義と健常者中心主義によって構築された」(p. 60) 「人間を規律に従属させる政治的な支配の道具である」(p. 75)という点を強調するために、著者らは「上からのクリップ・タイム」と呼んだと考えられる。
また、障害者が日々直面させられている不条理な現実を単なる「不便さ(障壁)」として処理するのではなく、時計の規律そのものを問い直す「下からのクリップ・タイム(自律的な時間の創出)」へとダイレクトに接続させるためでもあるだろう。単なる「障壁」という言葉では、現状のシステムを根底からひっくり返すようなオルタナティブ(代替の未来)を構想する政治的武器になり得ない、という判断があったと考えられる。
しかし、本来のクリップ・タイムと、本論文の著者らが提示する「上から/下から」の二分法や具体的な分析枠組みとの間には、無視できないズレや単純化が存在する。
ハリエット・マクブライド・ジョンソンやメル・チェンが描写したような、介助者との徹底的な事前の計画、慢性疲労を計算して現在の行動をセーブする「先を見越した時間管理(anticipatory scheduling)」、そして自己ケアのための時間確保は、標準的な時間体制に対するラディカルな拒絶の実践である。クリップ・タイムは真空状態から生まれるのではなく、支配的規律に直面した当事者が、その都度「時計を曲げて」闘うプロセスから生じる。しかし、本論文の著者らは、これらに伴う時間的・身体的・精神的な多大なエネルギーの消費を「上からのクリップ・タイム」という受動的な「時間的障壁」として処理してしまっていないだろうか。結果、抑圧を生き抜くために編み出された能動的なサバイバルの知恵(crip wisdom)を、「時間的障壁」に矮小化しているように思う。
また、本来のクリップ・タイムが持っていた資本主義的時間規範に対する「ラディカルな拒絶」が、具体的な政策による「制度的改善」へと着地させられてしまっている。エレン・サミュエルズらが論じた本来のラディカルな意味とは、労働や社会的スケジュールを経済的・文化的な義務から解放し、個人の欲望や能力によって形作ること、あるいは通貨を介さない「常軌を逸した経済活動(crip economics)」のように、資本主義の生産性そのものを根本から覆すオルタナティブの創出であった。しかし、著者らがカストリアディスの「社会的想像力」を援用して導き出す「下からのクリップ・タイム」の具体策は、「医師の診断書の廃止」や「つながらない権利」といった、労働法や雇用基準法という現行の支配的な枠組み内部における具体的で限定的な制度改革にとどまっている(p. 79-81)。資本主義的生産性そのものの拒絶という急進的なビジョンが、現行の労働システムに「よりスムーズに適応するための包摂策」へと回収されてしまうリスクにも注意を払う必要がある。